洋服やアクセサリーに、食器や道具。生活の中で昔から使われ続けているものに対して、「昔のものだから良いモノ」という言葉をよく耳にします。
今のような便利な機械や素材がなかった時代に作られた“モノ”は、手間暇と費用をかけられ、結果何年もの使用に耐えうる強度・実用性・デザイン性を兼ね備えた本当の「良いモノ」なのでしょう。
仕事場への通勤路でお見かけする、スカーフ使いにこだわりを感じるいつも素敵なおばあちゃん。
モダンなワンピースをお洒落に着こなし、上品できれいなお姿につい見とれてしまいます。ある日「素敵なお洋服ですね。」と声を掛けたら、「ずっと昔のものよ」と恥ずかしそうに仰っていましたが、そんなおばあちゃんが身に付けておられるものもまた、ずっと長く着ることが出来る「良いモノ」なのだと思います。
「今の人々はクローンみたいに同じ、使い捨てのゴミを着ているわ」
と語っていたのはイギリスのファッションデザイナー、ヴィヴィアン・ウエストウッド。かつては“パンクの女王”として知られ、今は数々の環境活動でも知られる彼女のメッセージのひとつに、
Buy less(たくさん買わない):賢く、質のいいものを「選択」をしましょう。考えなしに次から次へと使い潰すのではなくて、「選択」という行為をもっとすべきです。
というものがありましたが、おそらくヴィヴィアン・ウエストウッドと同世代だと思われる近所のおばあちゃんは、そんな生き方をされているのでしょう。
私がデザインやモノづくりの仕事に携わるようになり、いろいろなモノと対峙していく中で、「どんどん移り変わる流行や、外からの評価に合わせてモノを買い続けることってどうなんだろう?
もうそろそろ、外からの評価ではなく自分の価値観で「良いモノ」を選ぶ事が必要な時代になっているのではないか?」という疑問がわいてきました。
もしみんなが制服みたいに同じファッションで歩いたとしたら、例えそれが今年のトレンドで流行の最先端だとしても、それでどれだけ幸せになれるのでしょう?来年も幸せになれるのでしょうか?
毎年のトレンドと最先端の流行を追い続ける事は、きっと楽な事ではないはずです。しかし私はそんな“制服”そのものよりも、そこに見え隠れする「その人らしさ」や「こだわり」、「遊び心」にその人の想いや人間味を感じてほほえましくなったりします。誰にだってきっと、ずっと変わらず胸がきゅ~んとするような大好きなものや、出来れば一生使い続けたいって思うような想いのこもったものがあるはずです。そんな“もの”が、使い続ける事で「その人らしさ」や「こだわり」に変化していくのではないでしょうか。
激安ブランドやディスカウントショップに行くと、気軽にショッピングを楽しむことができます。その気軽さゆえにいつもとは違う挑戦が出来て、自分の新たな一面と出会えるきっかけを見つけることが出来るかもしれません。そこで出会える“ずっと使い続けたい大好きなもの”にも出会えるかも知れません。しかしその気軽さゆえに今度は、「いっそ古いものは捨てて、すべて買い換えてしまおうかしら?」という新しい考えさえ浮かんできます。
いらなくなったら捨てればいい。古くなったら買い替えればいい。それは一見とてもシンプルな事ですが、ふとその捨てられたものの行き先を考えた時、自然の摂理に反しているような違和感をも感じます。
毎年の流行に合わせて買い替えられるものは、10年後、20年後、いったいどれだけの量になるのでしょう。人類全体がそんなものの使い方をすれば、未来の地球上には何が残るのでしょう。
洋服を作るための生地を手にすると、自然の素材=地球の一部を預かっているんだという実感がわいてきます。またそれは同時に責任感も感じます。
なんでもないものだけど、そこに想いがある大切なもの。もう着なくなった中古の洋服がリメイクして生まれ変わった新しいもの。
モノづくりをしているとそんな、「いらないモノ」が「いるモノ」に変わるとか、「かっこわるい」と思っていたものが「かっこよく」なるとか、そういう価値の逆転が面白く感じるようになってきました。
ものが沢山あふれている便利なこの時代だからこそ、より地球規模の大きな視点で物と向き合い、価値のあるものを作る努力を続けることが、「モノ」の作り手でありデザイナーとしての責任だと思っています。